おっす俺ルーク!アビス高校に通うごく普通の高校一年生だ!
……って元気に自己紹介をしてみたけど、実は今俺はそんなに呑気な状況ではない。心はドキドキでガチガチだ。理由は簡単だ、初めてのバイトを前にして緊張しているのだ。何てったって、人間生きていくには金がいる。実家の仕送りだけじゃやっていけなくなった俺は何と家庭教師をする事になった。で、今その家に向かっている所だ。正直俺に勉強なんて教えられるのかとても不安なんだけど、まあ相手は小学生だし、何とかなるだろ。
でも俺の中の不安は消えない。この小学五年生の家庭教師の仕事、実は幼馴染のガイから回ってきたものなのだ。教え方の上手い(俺が高校合格したのは半分以上はガイのお陰なぐらい)あのガイが手をあげて降参したぐらいの曲者らしい。それでバイト探してた俺の所に駄目もとでやってみないかとガイが持ちかけてきて、俺は今ここにいる。そうだ、駄目もとなんだから、とにかくやってみればいいんだ。
この角を曲がったところに、その家はある。
「あら、あなたがルーク君ね。私はシュザンヌです、今日はよろしく」
「ど、どうもルークです。よろしくお願いします」
妙に立派な家(俺の家の2倍以上ありそう)のインターホンを押すと優しそうな女性が迎えてくれた。この人が母親なのだろう。俺を家の中に招き入れながらシュザンヌさんは頬に手を当てて小首を傾げた。
「まったく、あの子には困っているの。来て下さる家庭教師皆一日で辞めちゃって」
「はあ……」
「でも根は真面目な良い子だから、許してあげて下さいね。ちょっと無愛想なだけだから」
一体どんな小学生なんだろうと俺が色々想像している間にその子の部屋についたらしい。シュザンヌさんが一枚のドアの前でノックをした。
「アッシュ、新しい家庭教師の方が来て下さりましたよ」
「はい」
中から礼儀正しい子どもの声が聞こえた。おや、と俺が思っている間にドアが開く。そこに立っていたのは……赤色の髪と翡翠の目の綺麗な子どもだった(俺も同じ色合いなんだけどさ)。子どもは俺を一瞥すると、すっと頭を下げてきた。
「……アッシュです。よろしくお願いします」
「え、あ、俺はルーク、こちらこそよろしく」
想像していたのと大分違う初対面に気が抜けていた俺は慌てて頭を下げた。隣でシュザンヌさんがくすくす笑っている。うう、恥ずかしい。
シュザンヌさんは俺が部屋に入るのを見届けてからそれじゃあよろしくお願いしますと声をかけてドアを閉めた。恐ろしいぐらい整頓された部屋の中、俺の人生初めての生徒であるアッシュと2人きりになる。とたんに、今までしゃんとした顔をしていたそいつは眉間に皺を寄せた不機嫌そうな顔になり、相手を全然敬っていない声で俺に言った。
「おいお前」
「は、え?」
「俺は別に家庭教師なんていらねえ。勝手に勉強しておくから邪魔すんなよ」
アッシュはそう言い捨ててさっさと自分の机に向かってしまった。おそらくシュザンヌさんが用意したのだろう向かい合って座れる中央のテーブルではなく、1人で黙々と勉強が出来る椅子に座るあの机に。ちなみに俺に背を向ける形。
……って何だそれ!
「え、ちょっと、アッシュ君」
「気安く呼ぶな馴れ馴れしい」
声をかけただけで怒られた。顔をこちらに向けようともしない。真面目に机に向かっている。ああうん、確かに勉強ちゃんと自主的にやってるんだから根は真面目な子なんだろう、うん。でも、こいつ、絶対良い子じゃねえ!
「でも俺一応君に勉強教えにここ来てるんだけど」
「貴様に教えてもらうものなど何も無い」
貴様って!貴様って言った!ムカーっ小学生のくせに!こいつ母親の前では猫被ってやがるんだな。俺は今家庭教師が次々と辞めていく理由を知った。本人が家庭教師いらないって拒否ってるんなら、そりゃ辞めるわな。知らないのはシュザンヌさんだけで、だからこそまた次の家庭教師を雇うのか。こいつ、いらないならいらないって親にも言えよ!
しかしそれじゃ俺は困る。なかなかバイトが決まらない中やっと今回舞い込んできたお仕事なのだ。今回のみでこの息子様に首切られるとしても、今日だけはちゃんと家庭教師してるみたいに見せなければ。
「よーし俺はお前の邪魔はしねえ。だからちょっとこっち来い!」
「?!なっ何しやがる離せ!」
俺は椅子に座っていたアッシュを背中から抱えあげた。突然の事にもちろんアッシュも暴れまくるが、体力馬鹿を舐めんなよ!机の上の勉強道具ごと、俺はアッシュをテーブルの前へ強制連行することに成功した。
「……何のマネだ」
「こうやって向かい合ってると家庭教師してるみたいに見えるだろ?振りだけでいいから頼むよ、な?」
俺がそう言って手を拝んで見せると、アッシュは怪訝そうな目で俺を見た。ふふん、こいつはいわゆる生徒会長系真面目さんみたいだけど、残念ながら俺は不良見習いの体育会系(byアニス)なのだ。授業中勉強しているように見せかける事なんて数え切れないぐらいやったんだよ。
「家庭教師してないってお金貰えない事態になると俺も困るんだよ。生活掛かってるんだからさ」
「……浅ましい野郎だな」
ふん、何とでも言え。俺がふんぞり返ってると、アッシュはしぶしぶそこでノートを開いた。ここで勉強してくれるらしい。俺はというと、邪魔しないと言った手前やる事もないので勉強するアッシュの様子をぼーっと眺めていた。ノートの様子からして予習みたいだけど、習ってない部分なのによくそんなにスラスラとペンが進むな。俺より頭良いんじゃねえのこいつ。しかしこいつ顔整ってるよなあ……将来絶対いい男になるんだろうなーあーむかつく。
しばらくした後、アッシュの手が止まった。見ると眉間にさっきより皺が増えている。ああ、とうとう詰まったんだな。そっと覗いてみると、俺には分かったので内心安心した(受験の時ガイが復習だと称して本当に一から教えてくれたお陰だ)。アッシュの手がイライラとテーブルを叩く。もしかして俺がいるから分からない事が悔しくて余計にイラついているのかもしれない。ふとアッシュが顔を上げて俺を見ると、心底嫌そうな表情になった。俺はどうやら相当嫌な笑みを浮かべていたらしい。
「そこはなー」
「やめろ、言うな」
「いいじゃんか一応俺かてーきょーし様なんだから。教えるんだから邪魔でもないだろ?」
「ぐっ」
言葉に詰まるアッシュ。今までの態度が態度だったものだから嬉しいし楽しい。俺が上機嫌でやり方を教えてやると、嫌そうな顔そのまんまでそれでもアッシュは言われた通りに問題を解いてみせた。意地張って聞かないと思ってたんだけど、意外だ。案外本当に「根は良い子」なのかもしれない。答えが合ってたようなので、俺は手を伸ばしてその綺麗な紅色の頭を撫でてやった。
「おっし正解!よくやった!」
「っ?!」
するとアッシュは驚愕の表情で頭を抑えたまま後ろへ下がった。俺の手は中途半端に空中に浮かんでいる。な、何だ今の反応?
「な……なななっ」
「な?」
「何しやがる!」
怒鳴ったアッシュの顔はよく見れば真っ赤だった。何だこいつ、やけに初々しい反応。もしかしてあんまり撫でられた事ない?あのシュザンヌさんなら撫でそうな顔してるんだけどなー。親以外に撫でられた事なかったのかな。いつもあんな不機嫌そうな顔してりゃそうだろうな。
「何って、ごほーび」
「ごほ……?!」
俺が事も無げに言うとアッシュは口をパクパクさせた。言葉がとっさに出てこなかったらしい。しばらくした後気を持ち直したアッシュは突然あんな事をとか断りもなしに触れてくるなんてとか信じられない馬鹿だとか色々ブツブツ言いながらもさっきの位置に座りなおした。その距離は俺が再び手を伸ばしてもまた触れられる距離。さっきの名残でまだ赤いままのアッシュの耳を見ながら、俺はにやついていた。鏡が無いから確かめられないけど、俺の表情はさっきの嫌な笑顔よりもずっと優しかったと思う。
嫌じゃなかったんだな、撫でられるの。
何だ、こいつも何だかんだ言って可愛い所あるんじゃないか。
その後俺とアッシュは再び撫でたり何故か言い合いになったりテーブルの下で足を蹴りあったり笑いあったりして(あの無愛想でも笑うんだな)俺の家庭教師の時間は瞬く間に過ぎていった。俺は今玄関にいる。にこにこ笑顔のシュザンヌさんと、親の前なのでしゃんとしたアッシュが見送りに立っていた。あーあ、これで俺の初めての家庭教師は終わりか。結構楽しかったんだけどな。
「今日は本当にありがとう。ほらアッシュ、あなたもお礼を言いなさい」
シュザンヌさんに促されて、さっきまでじっと黙っていたアッシュが俺を見上げて、口を開いた。
「今日は勉強にならなかった。今度はもっとちゃんとまともに教師出来るようお前も勉強しておくんだな」
「なっおまっ教わる身のくせして何だその言い草!今日だって少し教えてやっただろ少しだったけど!」
「ふん」
アッシュは小馬鹿にしたように笑う。むきーっやっぱむかつくガキ!その後シュザンヌさんがいる事を思い出した俺は慌ててどこか驚いた様子の彼女に頭を下げて、アッシュに舌を出して玄関から出た。もうじき暗闇が訪れる空を見上げて、ぐっと伸びをする。一日だけだったとはいえ、良い体験したな。また明日から新しいバイト探さないとな。
……何か、さっきのやり取りで引っかかるものがあったけど。
次の日様子はどうだったか聞きにきたガイに昨日の事を話してやると目を剥いて驚いていた(曰く、言い合ったり笑い合ったりあの無愛想な子どもがするのか?!とか何とか)。驚くガイを見ながら俺もようやく思い出していた。そういえば、あの時あいつ、「今度は」とか言ってなかったか。
その後シュザンヌさんのほうから次の家庭教師のお願いの電話が携帯に入るまで、俺はアッシュの言葉を延々と考えていたのだった。
家庭教師な俺とツンデレ生徒
06/12/12
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