「冗談じゃねえ、そんなの死んでもごめんだ」


一も二も無くそう言い放ったアッシュを、しかしルークは薄く微笑んだまま見つめていた。少しは悲しんだり傷ついた顔でもするんじゃないかと思っていたアッシュは虚を突かれ、不審そうな目を向ける。ルークはやっぱり笑ったまま言った。


「うん。アッシュなら、そう言うかなって思ってた」


そこで視線を外し、ルークの目は空へ向けられる。済んだ空気のおかげで綺麗に見渡せる夜空をじっと、どこか羨望の眼差しで見つめている。


「でもさ……思うだけならタダだろ?俺の願望に勝手に入れられてアッシュも迷惑かもしれないけどさ。こんな未来こないかなって、思うだけだから……それぐらいなら、俺にも許されているんじゃないかなって。だからごめんな」


謝りながらもやはりルークは笑顔だった。いや、少し前の前言撤回。アッシュの目にはその笑顔も、少しだけ傷ついた顔に見えた。傷つきながらもそれでも、ルークは笑っていた。


「それでもこれは、まぎれもない俺の希望の未来だから」


ほぼ叶わないと悟りながらも願わずにはいられない未来。そんなルークの横顔を見つめながら、アッシュは微かに口を開いた。次に飛び出すはずだった言葉はどんなものだったか。そんな希望、粉々に砕いてやるような残酷なものだったのか。はたまた別な何かだったのか。驚いて思わず口を閉じたアッシュにはもう、思い出せなかった。
口を閉じたのは、ふいに音が聞こえたからだ。自然の奏でる音ではない。この渓谷には自分たち以外に存在しないだろうと思っていた、人間の発する音。

歌が、聞こえる。


「あ……」


驚いたルークが立ち上がる。遅れてアッシュも腰を上げ、聞こえてきた歌に耳を傾けた。その歌は渓谷のどこかで歌われているのか細く小さく、しかし確実に二人の元まで届いてきた。他に何の雑音もない渓谷内だからなのか、それとも歌自体に何か力があるのか、それは定かでは無かったが。アッシュはその歌を知っていた。ルークの方がもっと良く、知っていた。


「譜歌だ……」


ルークがどこか呆然と零す。アッシュも何度か耳にしたことがあるその歌は、ルークの仲間の一人の少女がよく歌っていたものだ。古の時代から受け継がれてきた特別な譜歌だ、歌える人間は限られている。何よりこの声に、間違いはないだろう。


「……どうやら少なくとも、あれからそんなに時は経ってなかったようだな」
「うん……」


懐かしい声は記憶のものとほぼ変わりがない。まるで誰かを呼ぶように響く譜歌に聞き入っていたルークの表情が、喜びの色に染まっていく。ルークが喜ぶのも、この譜歌が誰かを呼んでいるように聞こえるのも、アッシュはその理由を何も言わずとも分かっていた。これはまさしく、ルークを呼ぶ歌だからだ。帰って来い、ここに帰って来いと、ただひたすらルークを呼んでいるのだ。その歌に答えるように、ふらりとルークが数歩前へ進む。アッシュはその背中を、その場から一歩も動かずに見つめた。
歌に運ばれてきたように、白い花びらが数枚ふわりと、ルークを取り囲む。月の光に照らされたその光景は、夜だというのにまるで……陽だまりの下にいるように輝いていた。アッシュは自分が満足している事を悟った。その気持ちのまま、ルークへ語りかける。



「……行ってこい、ルーク」