「……。そうだな、考えておこう」
明確な答えを出さなかったアッシュを、しかしルークは嬉しそうに見つめてくる。もしかしたら、の未来を、アッシュが考えてくれるという、その事実だけで嬉しかったのだ。こんなもしもあるかもしれない未来を語り合う事さえ、以前の二人なら出来なかった事だから。
にまにまと笑うルークがあまりにも嬉しそうだったので、アッシュの方がだんだんと照れくさくなってきた。居心地悪そうに身じろぎして、ルークから必死に目を逸らす。それでもこの場を去ったり完全に否定したりしないのは……それが、答えだからだ。
「へへ……なあアッシュ、お前は住むならどこがいい?俺はエンゲーブあたりものんびりしてていいと思う」
「ああ?そうだな、ダアトの周辺も落ち着いてて割と住みやす……って気が早い!まだあれからどれほど経ったか確認できてねえだろうが」
「そうだよなあ、それが分かってからだよな」
明日になったら分かるかな。そう呟くルークの横顔が、少しだけ寂しそうに見えた。まるで今の話は完全に夢物語で、そんな未来でもなければアッシュと共にいれないとでも思っているかのような態度だった。……事実、アッシュはもし今があれから1年後や2年後だったとしても、素直に帰る気はなかった。その空気をルークも察しているのかもしれない。
だってもう、アッシュはこの世に居場所がない。オラクル騎士団からは抜けた身であるし、バチカルは……あそこはもう、自分の場所ではない。少なくともアッシュはそう思っている。だから正直、こうして生きている現実に喜ぶ前に困惑しているのが現状だった。そんなあいまいな気持ちのまま、ルークと共には行けない。ルークにはおそらく、帰りを待つ仲間や場所があるだろうから。そしてルークも、その陽だまりの下に帰りたがっているだろうから。それを止める権利は、アッシュにはない。
……しかし。本当に今のルークの話はただの夢物語だろうか。ここが、共に帰る場所のない遠い未来の世界だった時にしか、共には生きられないのだろうか。そんな消去法でしか選べない未来なのだろうか。
アッシュは少しの間躊躇って、何かを言おうとして口を開いた。
「………」
しかし言葉を発する前に、その口からは吐息だけが漏れた。ふいに夜の渓谷の静寂だけが入ってきていたその耳に、別な音が聞こえたからだ。それはどこか懐かしくさえ思う、人間の奏でる音だった。
歌が、聞こえる。
「あ……」
驚いたルークが立ち上がる。遅れてアッシュも腰を上げ、聞こえてきた歌に耳を傾けた。その歌は渓谷のどこかで歌われているのか細く小さく、しかし確実に二人の元まで届いてきた。他に何の雑音もない渓谷内だからなのか、それとも歌自体に何か力があるのか、それは定かでは無かったが。アッシュはその歌を知っていた。ルークの方がもっと良く、知っていた。
「譜歌だ……」
ルークがどこか呆然と零す。アッシュも何度か耳にしたことがあるその歌は、ルークの仲間の一人の少女がよく歌っていたものだ。古の時代から受け継がれてきた特別な譜歌だ、歌える人間は限られている。何よりこの声に、間違いはないだろう。
「……どうやら少なくとも、あれからそんなに時は経ってなかったようだな」
「うん……」
懐かしい声は記憶のものとほぼ変わりがない。まるで誰かを呼ぶように響く譜歌に聞き入っていたルークの表情が、喜びの色に染まっていく。ルークが喜ぶのも、この譜歌が誰かを呼んでいるように聞こえるのも、アッシュはその理由を何も言わずとも分かっていた。これはまさしく、ルークを呼ぶ歌だからだ。帰って来い、ここに帰って来いと、ただひたすらルークを呼んでいるのだ。その歌に答えるように、ふらりとルークが数歩前へ進む。アッシュはその背中を、その場から一歩も動かずに見つめた。
歌に運ばれてきたように、白い花びらが数枚ふわりと、ルークを取り囲む。月の光に照らされたその光景は、夜だというのにまるで……陽だまりの下にいるように輝いていた。アッシュは自分が満足している事を悟った。その気持ちのまま、ルークへ語りかける。
「……行ってこい、ルーク」